ぼくは霊能者

引っ越したので表示が見づらいかも

食事中であっても赤ん坊が泣いたら、すぐに席を立ち外に出るべきだ。

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叩かれそうなタイトルですが、
外食の時は赤ん坊が泣いたら、
食事の手を止め、
すぐに席を立つべきだと思う。
 
誰も「うるさい」から外に出ろ。
と言っている訳ではない。
 
赤ん坊は喋れない。
一生懸命訴えかける代わり「泣く」のではないでしょうか?
訴えて訴えて訴えて…
 
でも親は「あやす」というまやかしを使い、
自分の事を優先し子供の訴えを退ける。
 
でもたまには「楽をしたい」
食事くらいゆっくりしたい。
そう思ってしまうのは仕方のないこと。
 
だけど…
力の抜く部分が間違っちゃいないかい?
って事。
 
もしかしたら、空気が悪くて泣いているのかもしれない。
臭いが嫌で泣いているのかもしれない。
汗かいて気持ち悪くて泣いているのかもしれない。

食事中であっても赤ん坊が泣いたら、すぐに席を立ち外に出るべきだ。


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仕方がない。
そういってその場をやり過ごしてはいないでしょうか?
 
便利な時代の為、
こんな親が沢山いる。
衣食住を提供する

「家政婦親」

 
心の繋がりってなんですか?
絆ってなんですか?
 
食事を提供すれば「絆」は深まりますか?
良い服を買って上げれば「心」は繋がりますか?
良い家に住まわせれば「家族仲」はよくなりますか???
 
こんな「真実味」もないこと書くな!
と言う方もいると思いますが、
これはぼくの実体験を元に感じた事を書いております。
 
2歳3歳の時に立派に家に住まわせて貰い、
自分の部屋もありました。
 
目の前でステーキを焼いてくれるステーキ屋に連れて行って貰ったり…
海外にも行きました。
田舎暮らしでは考えられない生活をしていました。
 
それから30年。
現在の親子関係・兄弟関係はどうなっていると思いますか??
 
一家離散。
二度と会うことはありません。
 
衣食住を提供する「家政婦親」だと、
今は良いけど将来「一家離散」することだってあるって事。
 
親から、
「ガキなんて生まなきゃよかった」
「ガキに自分の人生を犠牲にするなんてゴメンだ」
面と向かって「挨拶」のように言われていたので、
ぼくは親とは正反対な事をしよう!
だから子供にはとことん尽くそうと決めているんです。
 
 
子供が欲しいけど…
子供の事を考えて子供を作らないって人もいる。
少子化の時代にそのような発言は叩かれてしまいそうですが、
子供のことを考えた最良の選択のよう思います。
 
幼いころはとことん「尽くす」
尽くすことで心と心が繋がり、
親子の絆が太くなります。
 
親と言うのは「子供の犠牲になってナンボ」の存在ではないでしょうか???
 

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