ぼくは霊能者

引っ越したので表示が見づらいかも

こんな質問されました

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子供達が寝てから奥さんとああだこうだ夫婦会議を毎晩行っております。

ほぼ24時間一緒にいるのに、
話すことは尽きることはありませんが、
昨夜はこんな質問をされました。

アメリカはキリスト教の人が沢山いるイメージがあるのに、
どうして犯罪が多いのか??」

確かに…
祈っているのに犯罪は圧倒的に多い。
どうしてか?
と考えていると一つの答えが降りてくる。

こんな質問されました


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「ミエナイ存在と距離が近すぎる」

おぉ髪よ~~~!
違った…
おぉ神よ~~~!
と常に意識をし、
常に身近な存在にいると感じます。

この距離感がとても大切で、
近すぎると「当たり前」な存在となり過ぎるようです。

わかりやすく例えると…
ダイヤモンドがあったとします。
現在のダイヤモンドの価値と言えば…
それはもう高価なものなので、
当たり前のようにあれもこれも手に入れることができません。

だから一つでも手に入ったら「大切」にしますよね?
でもこれが…
ダイヤモンドの価値が下がり、
当たり前のようにダイヤモンドを手に入るとしたら?
どうなりますか?

きっと今までは大切にしまっていた物が、
どこかそこら辺に起きっぱなしにしたり、
石が外れてどこかにいっても「まぁいいか」
と探すこともしなくなるでしょう。

まさにこのダイヤモンドと似ており、
近い存在のなると、大切にしなくなり、
とても遠い存在になるととてもとても大切にするのです。

宗派というのは各国で様々ですが、
良いこともあれば悪いこともある。

一番は「ミエナイ存在」が近くなりすぎないようにする。
これが一番大切なのかもしれません。

ぼくにとっては高次元のミエナイ存在はとても身近な存在。
神社で会っても…
おぉ元気かい?と声をかけるだけ。
どんな事も「当たり前」だと思っちゃダメですね♪

じゃんけんタイム〜♪
ぼく霊じゃんけん♪
じゃんけ〜〜ん♪

ポン!↓
http://bit.ly/1zmrK2J


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